お尻からお水が止まらない話
僕は昔から腸が弱い。
腸にまつわる最も古い思い出は8歳の頃。24時間テレビの地方イベント会場がその現場だ。
そう、今じゃコロナのせいでお目にかかれないけれど、毎年夏になると24時間テレビの催しが全国で行われていた。地元金沢も例外ではなく、中央公園と呼ばれる中心市街にある大きな公園に黄色いTシャツ姿の人々が、紙で出来た募金箱を持って集まっていた。ちなみに今では感動ポルノだとかパーフェクトヒューマンだとか、散々茶化されがちな同番組だが、僕にとっては、夏の風物詩と原風景を提供してくれた存在でもあり、嫌いではない。
特に今は亡き祖母は24時間テレビが大好きな人で、祖父の運転する壊れかけの軽自動車に乗った僕と祖父母は、夏になると必ず中央公園に行き、祖母が一年かけて貯めた10円玉がカンカンに詰まった訳分からん地銀キャラクターの貯金箱を、地球を救う愛の使者に捧げにいくのが定例行事となっていた。
そんな大規模なイベントにはつきものなのが、沢山のテキ屋の屋台だ。会場たる中央公園の周囲には、前日からテレビ局と何の関係もないテキ屋群がずらりと並び、ギラギラ光ってクルクル回転するだけの祭りの日にしか見ないチープなおもちゃ、取らせる気のないプレステやゲームボーイを陳列していた。あれは子供の脳を狂わせる、子供パチンコだった。
あと、大人になった今でも祭りに行くと不思議と美味そうに見えてしまうのが、どうしようもない適当な味付けの焼きそばや、可食部の比率の小ささ食品会No1のリンゴ飴。そして、お待たせしました今回の主役、焼きが甘すぎる焼き鳥だ。
「おばあちゃん! 鳥たべたい!」
なんてキュートな孫に言われれば、買い与えるのが祖父母の定め。一本250円のぼったくり価格も何のその、3本買って眉毛のない兄ちゃんに紙コップに入れて渡されたその串焼きは、(祖母の金だが)今日おれは募金をしたんだぞという満足感と祭り特有の華やかな雰囲気も相まってとても美味しかったことを覚えている。
そんな嬉しそうな孫を見て倍嬉しそうな顔をする祖父母も、数時間後に呪いの言葉を吐き続けられるとは思ってもいなかったろう。
『ヘームヘムヘム!』
経験したことのない異常な腸のぜん動が始まったのはテレビで忍たま乱太郎が終わる頃だ。僕の運命を知ってか、いたずらに笑うヘムへムの鳴き声と共に、僕の戦いは幕を開けた。
「んぎゃああああああああ!!!!」
中心市街地に近い祖父母の家に泊まった僕は、文字通りのたうち回るような苦しみを世界に向かって表現するようにソファベッドの上で卍型になって回転していた。口は一文字、涙はとめどなく、鼻水は乾き始めている。同じ焼き鳥を食べても平気だった祖父母はオロオロとするばかり、回転を止めて身体を丸めている僕の背中を祖母はさすってくれるが、
「さ、触るなああああ!! 今すぐ助けてえええ!!」
腹痛に始まり身体中が爆発しそうな苦しみにもだえ支離滅裂な言動を始める僕。
「お前のせいだあ! お前らのせいだっ!!」
当時から口の悪かったカンピロバクター感染クソガキこと僕は、陶器の古い洋式便所に祖父母への呪詛と一緒に胃液を吐き、またソファベッドに戻っては卍回転を始めるローテーションに入った。もはや時刻は23時過ぎ、8歳児にとって大人の深夜4時半くらいの起きていてはいけないトワイライトゾーンへ。
「もう”やだ! 二度と会わな”い来ない”!!」
あろうことか祖父母との絶縁すら宣言しながら、たまたま右横向きになって丸まった姿勢でいることがギリ楽だということを見つけると、僕は意識を失うまでそのままの姿勢でさらさらと涙を流し続けた。
翌日昼過ぎ、両親が迎えに来る頃には不思議とケロッと収まっていたその食中毒。クソガキ特有の手のひら返しで意気消沈する祖父母にまた来るねばいばいと元気に手を振った僕は、なんと翌年と翌々年、2年連続で危険そうな屋台グルメにむしゃぶりついては右横向きの姿勢で呪詛を吐くことになるのだった。食中毒に薬はあるが、バカに付ける薬はないというのか。
その後も癖になったかのように2年に一度くらいのペースで腸炎になるのが僕の人生で、それでもここ4,5年は鳴りを潜めていたのだけれど、一昨日から僕は医者から貰った薬を飲んで横向きになりながらさらさらと涙を流す日々を送っている。
リスクとベネフィットを正確に早口で伝えてくれる地元の名医に一週間以内に焼き鳥を食べた覚えはないかと聞かれて、走馬燈のように思い出が脳裏を横切り、思わず苦笑いを浮かべるしかなかったのである。本当に神様助けて。
カフェインに頼り切ってる話
僕たち社会決闘場で戦う労働戦士は、時にポーションのようにブラックコーヒーを飲む。カフェイン耐性薄めの僕も、年々落ちていく体力を補うべく、黒ポーションを経口補給(経口でない人への配慮)している毎日だ。カフェインにより過活動が可能となって目の下のクマが濃くなればなる程、より強く熟成された労働戦士となると言われている。
話は変わるけど3月も半ばになっても北陸はまだ寒い。なんと今朝も飛ぶ鳥がそのままの姿勢で凍って落ちていたというは僕の過剰なサービス精神による嘘。本当はユニクロのライトダウンが必要なくらいには寒い。
まあとにかく寒いので、社内の自販機でボトル缶タイプのコーヒーを買って一口飲み、低血圧のために一層冷えた身体を温めようと、そのコーヒーを首元に。ついでにお腹に当てた。
ああ暖かい。
そして湿っぽい。
すぐに僕は一口だけコーヒーを飲んだことを後悔した。
寝ぼけた頭のせいか、日々剣を握り戦うせいで疲れ果て握力がなくなっているせいか、ボトル缶の蓋がしっかり閉まっていなかったのだ。コーヒーをこぼすなんて話はよく聞くけれど、背中と腹に黒い染みを付けている奴は見たことがない。
ため息も出ず、意外なことに悲しみも怒りもなかった。ただ起きたことに対する空しさだけがあった。
猿田彦珈琲監修のコーヒー臭をぷんぷん漂わせながら会議に出席した僕は、背中とお腹に堂々たる黒染みを付けたまま何も起きていないような顔で仕事を続けた。
プロのマジシャンで、おどおどした人がいるだろうか、いやいない。彼らは注目させたい箇所に人々の視線と注意を惹きつけるため、まるで種も仕掛けもハナから考えてございません、という表情と姿勢を観客に見せるのだ。
だから僕もそれに従った。カフェインを摂ったことなどございません、手に持っているこれは黒いミルミルです。シャツに付いた黒い染みも臭いも生まれつきの個性、それを認めない社会の方がおかしいんですよ。と。
実際には、一目瞭然だって。そんなことは分かっている。だからと言って、僕に何が出来るというのか。タコピーが何とかしてくれるというのか。時間は流れ、暖房で揮発したコーヒーの臭いが会議室に満ちていく。
2口目の黒ミルミルを飲みながら、僕は平然とした顔で議事録を打つ。
頑張れ、僕。働け、僕。帰って洗濯機にシャツをぶち込んでから泣けばいい。
新品のエアポッズプロをドブに落とした話
こないだエアポッズプロをドブに落としました。
買ってから3週間、通勤中に今日も最先端のノイズキャンセリング機能に酔いしれようと、ケースからつまみ出そうとしたその時でした。
左耳のイヤホンが、ぽろり手から落ちたんです。それを、目で追いました。2度地面をバウンドした後で、イヤホンは側溝の蓋に開いた穴に吸い込まれていったんです。
突然ですが皆さん、神を信じますか? 僕はこの瞬間から信じています。
なぜなら落ちた側溝の穴というのが、もしかするとワンチャン取れるかもしれないという希望を持たせるに足る、ちょうど握り拳大の大きさの穴だったからです。しかも太陽光がその握り拳大の穴に斜めに差し込んで、まるでスポットライトのように水面に沈むエアポッズプロ(左耳)を照らしているではありませんか。こんな奇跡的な光景、神の啓示以外のなにものでもないです(断言)
エアポッズプロは生活防水機能を持っている、という前情報も、後に聖人認定されるであろう僕に諦めることを許しませんでした。それはあまりにも残酷な希望でした。
結果、僕は希望にすがりつき、苦痛に顔を歪めながら会社に連絡して有休を使いました。鬼気迫る口調を察してくれたのか、特に理由は聞かれませんし、聞かせません。
さて、まずは恥も外聞もかなぐり捨てて、地面に這いつくばり拳大の穴に片手を差し込みます。右肘あたりまで穴には入ったものの、そこから先には進めません。クソが。
ここで諦めてなるものか、と自宅に走って帰り手に取ったのはアレ、BBQとかで炭をはさんだり暇なとき無意味にカチカチして遊ぶやつ。そう、火ばさみ。
大慌てで火ばさみを手に持ち、僕のあまりの慌てっぷりに目を覚ました妻も連れて運命のドブ穴に再び向かいます。
まず日の光が差し込む位置を確認し、火ばさみを穴に入れます。腕によって視覚情報が塞がれるため、第六感を研ぎ澄ませて運命力に身を委ねてゆっくりと・・・・・・はさみます。
カチリ。取れた!
興奮と共に引き上げると、そうそう!エアポッズプロと同じ大きさの小石!クソが! 怒りのままに小石を口に放り込んでかみ砕いて奥歯2本破壊したというのは嘘で、僕はマジでじわりとあふれ出る涙をギリ押しとどめることしか出来ませんでした。だって女の子だもんなんて世間じゃ言われますが、実は男の子の方が逆境に弱いというのは常識です。
「あの、大丈夫ですか?」
しばらく膝をついて黙っていると、声をかけてきてくれた人物が現れました。彼は運命のドブ穴の斜め向かいにある飲食店の従業員さんでした。手にはスマホを持って、少し青ざめた様子です。聞けば地面に倒れている男が居るので様子を見てこい(そして救急車を呼べ)と言われてきたそうです。
「・・・・・・ドブ穴にエアポッズプロを落としたんです」
端的に伝えると、ほっとした表情と気の毒そうな表情を、ちょうど美味しいカフェオレの比率で顔に浮かべて帰っていきました。心配かけてごめんね。
「アノ、大丈夫デスカ」
次に現れたのは、ミニベロ自転車に乗った金髪メガネで筋骨隆々の外国人の方でした。
何この展開、童話の4ページ目かな?
通りすがりのハルクに事情を話すと、「OK」と一言。側溝にはまった分厚い石蓋ごと持ち上げようとするではありませんか。
この石蓋、恐らくは設置されてから一度も開けられたことはないのでしょう。繋ぎ目は苔むしており、常人には手も足も出せないことが見てとれます。しかし、このアングロサクソンの筋肉量ならもしかすると・・・・・・駄目でした。
「ゴメンネ」
と、心底申し訳なさそうにするハルク。申し訳ないのはこっちの方です。マジで。
その後、火ばさみ片手に一肌脱いでくれた妻の努力も空しく、カチカチと空と小石を掴む火バサミの音だけが響き、時は経ち、
今でも僕のエアポッズプロは、ドブ穴に差し込む一筋の光の向こうでまるで眠っているかのような安らかな姿で横たわっています。アーメン。
ちなみに片耳だけ買い直したら2万5千円したので、それ以降エアポッズプロは完全室内専用になりました。僕の住んでいるマンションの自室は、建築時の欠陥工事か、壁の中にビーバーの家族が暮らしているせいなのか知りませんが、まるで体感道路脇2メートルで暮らしているかのような超騒音物件なので、エアポッズプロのノイズキャンセリング機能は日々その真価を十二分に発揮してくれています。マッキントッシュの製品は本当に素晴らしいですね。
おい、お前ら、エアポッズプロ買え!!<PR記事>
仕事で疲れたので綺麗な絵画を見に行った話
みなさんこんばんわ、お久しぶりです。ロッキンです。
最近時間が経つのが早いですね。小学生の頃、土曜日の午後が体感5億年くらいに感じ、プレステでFF7の闘技場を回しながら畳の上に寝そべり無限の懲役をこなそうと努めていた頃に比べ、おっさんになった今は起きてティックトックをダラダラ見ていたら体感1時間で夕方のチャイム(田舎あるある)の鐘が鳴るようになってしまいました。
時間が経つのが早い、早すぎる。
この加速度のインフレ具合で行けば、人生100年時代なんて言われてる昨今、おいおいこんな苦しい世の中をまだウン十年生きなきゃいけないのかよ、トホホなんて言い終わる前に体感時間が過ぎて納棺されてしまいそうです。
死は救済派の皆さん、わざわざ自分で死ぬ必要はありません。時の加速を待ちましょう。
さて(?)、最近マジで仕事が忙しいです。
過去に「仕事忙しくて……しんどい^^;」なんて言ってたのは今思えば社会人あるあるもとい大人の中二病、世の中の俺の方が疲れてるぜ自慢合戦に乗っかった一種のポーズに近かったのですが、最近はマジで心亡くす闇の渦に飲み込まれている次第であります。平均12~14時間労働に慣れると、コロナ渦にあっても営業を粛々と続けてくれているコンビニのありがたさが分かりますね。名も知らぬ食品添加物の大量摂取が気になってきますが飢えには勝てません。オーガニック野菜よりファミチキバーガーなのです。
なんてことは部屋の隅に雑に置いておいて、先日幸いにも取れた休日に、せっかくだから何かできる限りのアクティビティを行いたい、どんな思い出でもいいから今日というかけがえのない1日に刻み込みたいと思って、行きました。
どこへ? ネット広告で見た綺麗な絵の展示会へ。
すやすや寝ている妻を叩き起こして四つ折りにして車に詰め込み、向かう先は郊外の寂れた展示場。
到着すると即、某ファイナルファンタジーの原画でお馴染み者(しゃ)の絵画がずらりと並んでいました。うひょーかっこいい。なんと入場も無料だって、お得だね。
コロナ対策のためと言われながら住所名前を書いて入場。
ふむふむと美しい線のタッチを楽しんでいると、中盤で長身黒マッシュルームピアス彼女を殴るタイプの靴を履いている若い男に話しかけられました。
「こんにちは、今日はどれを目当てに来られたんですか?」
「あっ、あ、ドゥフ、ク、クラウドです」
答えながら、どれとは? と周囲を見ると、なんと順路に従っていく先に、某ディズニー絵画の展示コーナーが待ち構えているではありませんか。
おかしいな、ネットで見た案内には併設展示があるなんて書いていなかったけど。
「是非ゆっくり見ていってくださいね」
「あ、は、はい」
「そうだ、ディズニーキャラクターではどれが好きですか」
「……ミッキー……」
「ハハッ(ミッキーボイス)、一周回って良いですよね!」
うわこんな作り笑い下手な人いるんだ、と思いながら順路を進んでいくと、風景画にクマのプーさんやミッキーさんが描かれた絵画がずらり。
あらあら素敵、あら綺麗。見惚れながら進んでいくと、突き当たりでどこか既視感のある鮮やかな海の上にティンカーベルが浮かんだ絵が僕たちを待っていました。ティンカーベルが降る杖の先には、ツヤツヤとした美しいイルカが2頭、まるでイリュージョンのような美しい幻想的な夜景が絵に魔法のような彩りを与えています。ってこれ
「ラッセンじゃねーか!」
「はいっ! ラッセン先生がディズニーとコラボした作品なんです!」
目を輝かせるマッシュルーム彼女殴り男。
ラッセンといえば絵画商法。絵画商法と言えばラッセン。
そうです、僕たちは頭足りないメンに50〜100万円する複製版画を販売することウン十年、胡散臭さがデオドラントスプレーを貫通するアール○バン(株)という巨大モンスターの胃袋に潜り込んでしまっていたのでした。
とはいえサンダルパーカー姿の僕ことアホ面眼鏡の財布には、王将の会員証と2,100円しか入っていません。どうする? どうやって高い絵画を売りつけるつもりだ? あ、壁に「お気軽に分割払いを」の札を発見。クレジットカードにも全対応とのこと。こいつら貧乏アホ面眼鏡の家に絵画をぶちこむプロだ、やばい! と身構えて戦闘態勢になったのも束の間。女殴人(なぐりんちゅ)は見た目のギラギラさとは裏腹に、お前三日前にラッセンって単語を覚えただろって感じのぎこちなくたどたどしい解説を始めました。なんか仕事に慣れてなさすぎて逆に微笑ましい感じ。頑張れ、もっと成長してマイルドヤンキーに高いローンを組ませるんだ。
特に電卓を弾かれることもなく、普通に帰ることができました。うーん。
なんかつまんな。妻を人質に取られて別室に軟禁されてガムテープでスマホを頭に固定されながら親に金を借りろって脅されてみたかったなとちょっと思いました。威勢が良いのはネットだけにしとけよ(自制の句)
はい、現場からは以上です。
コロナに日常が持ってかれた話
2月上旬に始まった中華人民共和国は武漢発の新型ウイルスが、あれよあれよこれよこれよという間に豪華客船と共に日本にやってきた。
海の向こうから見えない何かが船に乗ってやってくる。何それ宝船? 七福神? 千と千尋じゃーん、なんてへらへら笑っていると、突然世界経済が心不全を起こし始めた。これが僕とコロナとの初の邂逅だ。ダウがサーキットブレイカーで停止し、日経平均はじんわりと沈んだ。(ちなみに僕は株を人並み程度にたしなんでいる。大体下手くそだけれど、ここ数年はアベノミクス相場の余波のおかげか、ある程度勝ち越しているのだ。訂正、いたのだった)
メガネヒゲ白人老人のチキン屋さんで抱えていた笑って許せる程度の含み損が、真顔で小ゲロを口に含む程度の含み損へ、そして笑うしかない含み損になるのに1週間かからなかった。えっコロナ怖い、なにこれ怖い。
僕はこうしてコロナからファーストコンタクトでいきなりボディブローをくらった。コロナはいわば言葉が通じず常に目が据わっていて笑いのツボがおかしい本当に怖いタイプのヤンキーだったのだ。その後、なんやかんやあってお金は元に戻ってきた後、本日さっき大変くだらないミストレードをして再び天に召されつつある。みなさん、出来ることなら相場の世界に入ってくるのはやめよう。特に変に几帳面で負けず嫌いの君は絶対に足を踏み入れてはいけない。(ちなみに僕はもうだめだ、この楽しくも恐ろしく金のかかる趣味は一生続けざるを得ないと思っている)
脱線した、話を戻そう。
3月上旬になった。間接的にコロナの被害を受けただけで、僕の日常は何も変わっていなかった。世界中で感染者が増え続けている! なんて報道はあるとはいえ、今日もテレビではくだらないドラマの番宣をやっているし、夜になると外壁の薄いマンションの外から酔っ払いたちの笑い声が聞こえている。実家のオカンはロックダウンに備えて冷凍庫を買っていた。僕にもある程度受け継がれているその尋常でない行動力に呆れ半分で感心した。
毎日朝起きて、youtubeで誰かが違法アップロードした、すべらない話や談志の落語を聞き流しながら会社に行く。ため息ひとつと共に一日仕事をして帰る。時々日付をまたぐこともある。配偶者は夕飯を用意してくれて、今日もPS4でAPEX LEGENDSをしている。ちなみにコロナと全く何も関係なく突然勤め先が対消滅して会社都合の無職になって暇をした彼女は、FPS好きの僕が薦めるままにゲームを始め、コロナ騒動以後は更に家で籠り続けて間にメキメキバリバリモリモリプレイをして目に見えて圧倒的にプレイングが上手くなっている。針を通すようなエイミングと立ち回りを見れば分かる。既に明らかに僕より強い。くそ、継続は力なりって本当だったんだ。僕は感動すると共に大変嫉妬している。
そして今、4月下旬。
相変わらず僕たちの平和な日常は続くのであった、とは言えない現実が目の前にある。浮世離れのあまり普段はドラえもんばりに地面から数センチ浮いて過ごしている僕にも、流石に、この渡来菌が想像以上に(特に経済的に)やばいことは理解出来るようになっていた。世間のパニックはじわじわと僕の日常にも侵食している。通勤中、外に誰も歩いていない。マスク不足で個性ある布マスクをしている人が職場に増えた。ランチタイムに外に出ても開いている店がない。仔細は伏せるが、コロナ関係で増えていく仕事越しに、どうやら世間の人々が生活がままならずに苦しみ始めていることも分かってきた。
先は見えない、なのにこのウイルスのこと自体はほとんど何も分かっていないに等しい。これは世界中が不安になるのも仕方ないだろう。
宝船に乗ってきたのが、目が200個付いたプレデターだったら分かりやすくて良かったのにと思う。それなら一億人がショットガンを携えて戦うB級ホラーで済んだ。でも、一体何がやってきたのか分からないまま、人が死んで経済が止まっていくのはダメだ。オチが想像出来ないまま、目に見えないものに追い詰められていくのは本当に怖い。
どうやらそう簡単に日常には戻れなさそうだぞ、という予感に気を引き締めつつマスクを付ける。でも1年もすれば、案外平和過ぎて笑えるような退屈な生活に戻っているかも、なんて期待もしている。
いずれにせよ人生は続いていくので、恥ずかしくない程度に生きていこうと思う。
トイレットペーパーの残量に気をつけながら。
ブータン王国へ行った話(3)
「美味しい! けどクッソ辛いですね!!!」
国際空港から車で30分弱。恐ろしく舗装がされていないボコボコの山道を進んだ先、鮮やかな内装が特徴的なカフェに連れられた僕達は、豆腐や鶏肉を具材とした緑色のスープを前に悪戦苦闘していた。しかし何を食べても辛いので、結果的にパンをちょびーっとスープに浸して食べるという形に落ち着いたところだった。
ブータンの料理は、基本的に辛い。
理由は単純、あらゆる料理に唐辛子がふんだんに使われているせいだ。
出された料理は基本的に残さず食べるという日本の食育の模範生たる僕は、何度かやせ我慢をして目を血走らせながらトライしてみたのだけれど、結果あんな美味しそうな(しかし辛い)料理の数々を残す結果になってしまった。無念。
唇を3倍の大きさかつ真っ赤にしながらガイドのドルジさんに辛さを訴えると、観光客には良くあることらしく、慣れた口調で答えてくれた。
「これでもだいぶ、辛さは抑えてあるんですよ」
既に一口に対してコップ一杯の水を欲する辛さなのに、これより上があるというのか。恐るべしブータン料理。
ちなみにドルジさんに言わせると今僕達が食べている辛さ程度じゃブータン人は何も感じないそう。はは、マジかよ口が麻痺してんじゃねーのか? 身体大丈夫か?
ということをオブラートに包んで尋ねると、彼は少し前に唐辛子の食べ過ぎで胃が悪くなっていると医者に言われ、以来辛い物は控えめにしているとの回答を得られた。
ドクターストップ受けてる。全然身体大丈夫じゃない。実際口が麻痺してんのだ。
ちなみにこの日から、僕の口癖は「Is this hot?(これどうせ辛いんだろうが?おい?)」になる。ちなみに答えは大体イエスだ。結果僕は肩を落としてがっくりしながら、パンとポテトサラダを口に運ぶのだった。
しかし不思議なことに、この後も3食辛いブータン料理と少しずつ向き合い、時にヒーヒー言いながら食べていく内、突然味覚のブレイクスルーが起きることになる。
「うん、もう平気かもしれん」
そう言って先にエターナル総書記が辛さの向こう側に到達し、
マジかよ、舌が壊れちまったのか? と怪訝な表情をしていた僕も半日程遅れてブータン料理が平気で食べられるようになった。(とは言っても、受け付けないレベルの辛さの料理もあるが)人間の体ってすごい。
そして、ブレイクスルーを経た後のブータン料理は、これが誠に美味しいのである。
特に野菜を辛いソースで焼いたやーつが美味しい。じゃがいもはどれもホクホクで最高だ。人参も甘くて柔らかい。辛さを抜けば、あまりにも口に合うもんだから驚いた。
じゃがいもが美味しい国に悪い国はない。ブータンは速攻で僕の第2の故郷になった。
道端至る所には大麻が自生していた
日が変わり、また次の目的地へ。
ホテルの名前が毎日変わっていることに気づいたのは3日目のこと。旅行日程をまともにチェックしないズボラな僕たちは、やっとこの事実に気づいた。
やっとここで確認してみると、2週間ある旅程の内、連泊するホテルは1カ所しかなさそうだ。つまり、僕たちは毎日荷物を部屋で広げては仕舞い続けなければならないのだった。これはかなり精神的に疲れる。
段々と顔色が悪くなっていく僕たちを乗せて、ガタガタと車は恐ろしい山道を進んでいく。舗装されている道は全体の30%くらいだろうか。石くれと土が剥き出しになった道路は、ガードレールもない。いや、あるにはある。
けどその9割が竹製だ。
『ここから先に行ったら、車は直滑降してお前は死ぬよ!』
という目印に過ぎない。
実際、数日前にトヨタのピックアップトラックが2台まとめて落ちたという話をドルジさんより笑顔で聞かされた。馬鹿野郎、今ここで言う話かクソが!
尚、ブータンは国の方針で、自然を守るために山にトンネルを作らないらしい。ゆえに細い一本道の道路が、左右どちらかに落下即死の崖を見ながら、どこまでもくねくねと続いていく。
道路の真ん中には、時に4~5メートル級の落石がゴロゴロ落ちていて、それをレーシングゲームよろしくドライバーがギリギリで避けていく。
ある時など、車一台の道幅しかなかったこともある。
当然反対側は崖だ。それでもドライバーは当然のように進んでいく。冗談抜きで死ぬかと思った。
しばらくして、それでも先に進めない程ひどい土砂崩れに出くわした。しかし30分くらいすると、どこからともなくコベルコ製のショベルカーやブルドーザーがやってきて岩をどかしてくれる。そしてゆっくりとまた、僕たちは霧がかった恐ろしい道を進んでいくのだ。僕はそこで、やっと不思議に思ってガイドのドルジさんに聞いてみた。
「どうしてこんなに落石が多いの?」
「ああ、ダイナマイトで山を削って道を作っているんですよ」
ダイナマイトで山を削る、それ自体は聞いたことのある話だが……
僕は改めて土が剥き出しの切り立った山を見てみた。なるほど、今気づいたが、どこもかしこも擁壁工事がされていないではないか。
日本では考えられない光景を見て、改めてここが異国だと思い知る。しかし、何故だろう。山しかないブータンで擁壁の概念がない訳がないだろうに。そう尋ねると、
「そうですね、いずれNGOが作ってくれると思いますよ」
そう言ってコカコーラをぐい飲みするドルジさん。
つまりは国の唯一の基幹道路というインフラが国際機関頼みなのだ。
日本の感覚では想像もつかなかったが、単純に金がないのだと知った。小さな農業国ブータンは、とても貧しい国でもあるのだ。
トンネルを造成するだけの費用がないために、道路はその後も山裾を延々とぐるぐる回り続ける。常に体の重心が左右にふれている。
そのせいだろう。
ある日の昼食後、車酔いに強いはずだった僕はついに路肩で食べたばかりのポテトと再会することになった。
ブータンの悪路は想像以上に身体にダメージを与えていたのだ。
車を途中で停めてもらい、山道の途中の沸き水を口に含む。がらがらとうがいをすると、だいぶ楽になった。えづく僕の隣で、ガイドのドルジさんは微笑みながら
「スピリチュアルなパワーが沸いてますからね」
と、何の気もない風に言っていた。
この場だけではなく、彼は事あるごとにブータンの各地で超自然的な力のことを口にした。その口調は全く冗談風ではなく、信じる信じないですらなくて、人間の知らないパワーが存在することを、当然に受け止めている感じだった。
それが、先進国常識疲弊労働者たる僕には新鮮で面白かった。
実際、標高2,000メートルの山しかないブータンの神秘的な景色を見ていると、神様(ブータンは仏教国なので仏様だろうか)にだって会えそうな気すらしてくるから不思議だ。
僕は吐瀉物まみれの口をもう一度湧き水でぬぐい、苔生した岸壁を眺めた。何の観光地でもないこの山道の風景が、帰国後も忘れられないブータンの一風景になった。
ブータン王国へ行った話(2)
ここで墜落死したら、ちゃんと遺体は見つけてもらえるのか?
それがブータン国際空港への着陸前、機内窓から外を見た僕の感想。
機体に5歳児が楽しそうに書いた風なシャチホコ的謎生物をマスコットキャラクターにしている、ブータンの航空会社――ドゥルック航空の機体は、見渡す限りの山の上で大きく旋回を始めていた。
いや着陸? どこに? こんな山の中で??
よーく見れば、山に囲まれた谷の底に、確かに滑走路が見えている。いや見えるけども。これフライトシミュレーション系のゲームだったら両翼を持ってかれるタイプのコースじゃん。こんなに不安になる空港は初めてだよ。
え、本当に降りれるのこれ? いや降りれなきゃ困るんだけど、お、降りれた-っ!
ケツにドカンと振動を感じながら無事に着陸。
そしてついに僕達はタラップから降り、ひんやりとした、それでいて綺麗なブータンの空気を吸い込んだ。標高2,000メートルに位置するという世界でも珍しい空港なので、心なしか空気が薄い気もする。
これまた珍しい木造建築の美しい国際空港で、滅茶苦茶ゆるいイミグレーションを通った後、そういえばSIMカードを買うことを忘れていたことに気づく。売店はイミグレの向こう側だ。つまり入国前に買っておけということ。やばい、どうしよう。
僕達が身振り手振りで何とか購入出来ないかを伝えると、入国管理官の若いブータン人は不思議そうな顔をして、行ってくれば良いじゃん? と指を差した。
本当にいいの? いいらしい。
結果イミグレを逆走し、無事SIMカードを買うことが出来た。ちなみに入国管理官の席に置いてあるパソコンには、サポートの切れて久しいXPのロゴが踊っている。
ゆるい、ゆるすぎる。これが幸せの国の優しい空気感なのか。既に僕は、ブータンに恋し初めていたと言っても過言ではないだろう。言わせて欲しい、君が好きだ。ブータン。
「ぼくも君が好きだブー」
機体に5歳児がマウスで(しかもウィンドウズペイントで)描いたようなゆるかわマスコットキャラ、ぶーたん(命名)が耳元で囁いた。
国際空港から外に出ると、そこに待っていたのは俳優の松重豊にどことなく似たツアーガイド。僕達はこれから彼に連れられて、この山奥の小国――幸せの国ブータンを旅するのだ。期待に胸が膨らんでいく。僕は会釈をして言った。
「ナイストゥーミーチュー!」
挨拶は大事だ。それが片言のファニーイングリッシュであっても、気持ちが伝わることが大事なのだ。
「あ、どうも初めましてドルジです」
日本語喋れるんかーい! しかもペラッペラやないか!
僕達はその場で両足を上にしてずっこけた。ああ嘘だ。
キモオタクらしくドゥフドゥフウヘヘと笑った。
それにしても日本語で会話をしていると、一気に自分達が国外に居る感覚がなくなるから不思議だ。これが日本人の団体ツアーになると、最初から最後までうにょーんと本土から伸びた日本国が足元に存在しているような気にさえなる。19歳の頃、友人と二人で行ったHISの激安パッケージツアーでイタリアへ行った後、人生の中でイタリアと聞くと関西弁のおばちゃん達の顔をまず先に思い出してしまうようになったくらいだ。
そんな取り留めもないことを考えつつ、流ちょうな日本語で話すドルジさんと雑談を交わす僕達を乗せたセダンタイプのトヨタ車は、谷に位置する空港から出て、更に標高の高い山間の町へとゆっくりと進んでいくのだった。
つづく