ロッキン神経痛のブログ

脳みそから出るアレをこぼさずジップロック

時空を超えた交通整理おじさんの話

 先日、近江町市場前の横断歩道を渡っていたら、交通整理の誘導棒片手に笛を吹いてる人がいた。休日なのに警察も大変だなと何気なく目をやると、それは口から泡を吹き吹き笛も吹いてる野生の交通整理おじさんだった。ああ、春も近いのだろうか。寒風の吹く二月の空の下で出会った、思わぬ春の息吹に、自然と僕は早足になった。

 

 鳴り響く笛の音と大きく降られる右手の誘導棒を横目に通り過ぎようとしたとき、ふと交通整理おじさんが首から何かをぶら下げているのに気づいた。はて今のは何だろうかと足を止め、目をこらして見てみると、陽に反射してキラキラと輝く黄金の輝き、それは紛れもなく金メダルだった。そう、彼は春と共にやってくる街の妖精ではなく、なんと金メダリストだったのである。

 

 街の妖精交通整理おじさん改め元アスリートの金メダリストおじさんは、胸に金メダルを下げて必死に腕を振っている。えっと、交通整理がオリンピック競技に採用されたのはいつのことだったっけ?足りない頭で考えてみるも答えは出てこなかった。自分のあまりの無知さに腹が立つ。帰ったらすぐインターネットで調べようと思いつつ、通行人に聞き取れない大声で何かを叫んでいるおじさんをうしろに帰路についた。

 

 帰宅後、インターネットの知恵者達が集まることで有名なyahoo知恵袋をくまなく探してみたものの、交通整理と金メダルを結びつける手がかりはどこにも見当たらなかった。馬鹿な、宇宙・生命・この世の万物の理を知る聡明なチエリアンの方々にも全く知られていないということは・・・・ゴクリ。ある一つの結論に行き着いた僕は、思わず生唾を飲み込んだ。考えられる可能性はただ一つ。交通整理が今現在、メダル競技として扱われていないということは、今より未来の世界ないしは異なる宇宙を基にする異世界で競技としての地位を確立している、ということではなかろうか。つまり彼は、少なくともこの世界の人間ではないことが推測されるのである。

 

 金メダルおじさんはこの世界の住人でない、その衝撃の真実を前にして、「そう考えると辻褄が合うな」と僕は独りごちた。今思えば、彼の聞き取れない叫びも、遙か未来の日本語であったと考えれば納得出来る。仮に現代人が平安時代にタイムスリップすることを想像してみてほしい。同じ国とはいえ、発音も単語も数百年の時を経れば別物だろう。同じように未来の日本語が、少なくとも現代人が聞き取れない程度に変質していておかしくはない。更に異世界人であれば、言わずもがな言語のルーツが違うだろうから我々に通じるはずがないのである。

 

 タイムトラベラー、異世界人、僕は子供の頃からそういったオカルトの類が大好きだった。いつかそういった不思議な存在に会ってみたいと常々思っていたのだが、それがなんと昼間の横断歩道で知らぬ間に叶っていたのだ。全くもってうかつだった。足早に現場を去ってしまったことに後悔しつつ、憧れの存在にもう一度会いたいと思った僕は、今日も同じ横断歩道を渡りに行ったのだけれど、そこには誘導棒を持った金メダリストおじさんは居らず、その場に難しい顔をした警察官が一人、暇そうに立っているだけだった。

 

 交通整理おじさんは一体どこに行ってしまったのだろうか。時間や時空を越える道具で元の世界に帰ってしまったのだろうか。あるいは、僕より先にこの重大な事実に気づいた政府の組織に捕まって、国会議事堂下にある秘密地下施設内で監禁拷問を受けているのかもしれない。だとしたらこの場に立つ警察官の説明もつくだろう。ただ少なくとも、僕にはもはや出来ることが何もないことに絶望した。

 

 あの一見、ただのチープな玩具のようにも見える黄金のメダルの輝きと、この世のものならざる叫び、悲鳴を上げて走っていった若いOLの後ろ姿が忘れられない。僕はふと、日常に戻った横断歩道の途中で空を見上げた。今日も曇天の空から、ひらひらと雪が舞い落ちている。春はまだ遠い。

 

 

物事を知らなさすぎて、野球のことが全然分からない話

僕は本当に世の中の物事を知らない。

 

 高校生の頃、周りがKAT-TUNの話をしていても僕は、男性アイドルユニットだとは知らずに、皆がカートゥーンアニメのことを話していると思っていたし、赤ちゃんはコウノトリ博士が孤島の秘密研究所で人工培養したものを、夜な夜な子供を欲しがっている夫婦の家に配布していると信じていたくらいだ。

 

 ちなみにコウノトリ博士というのは、生物学の権威 河野 潤一郎博士が生み出した人工生命体である。マッドサイエンティストであった河野博士は、周囲の反対を押し切り、自身の所有する孤島で日夜、人工生命を生み出す危険な実験を繰り返していた。そんなある日、実験中の事故によって河野博士は死亡する。しかし、その事故をおこした実験によって幸か不幸か自我を獲得した生命が誕生し、やがて人間の10倍のスピードで急成長した人工生命体は、自身を河野博士の実の息子であると勘違いしたのである。ある日、亡き父が残した実験ノートに綴られた、研究を認めようとしない人間社会への恨みと、自ら生命を創り出すことへの強い執着を知った人工生命体は、自らをコウノトリ博士と名乗り、亡き父河野博士の意志を受け継ぐ研究を始めた。やがて、世界がその存在に気付く頃には、強大な科学力と無限の生命を持った兵士を核とした巨大軍事国家が太平洋上に浮かび上がっていたのだった。これが、後の人類にとっての最終戦争のプロローグである。

 

 さて、物事を知らない人にありがちなことなんだけれど、本人は別に知らないことを恥じてる訳ではない。たまに人に笑われたりするけれど、その為に興味もないことを頭に入れるのも面倒くさいし、そもそも興味がないから知らないのだからどうでもいいじゃん、くらいに思っている。自分が好きでもないものを無理やり脳みそに入れるのは、思春期の頃に必死に覚えた流行曲くらいでいいだろう。ミスチルケツメイシとか、当時必死こいて聞いてたけど今でも全然好きじゃない。今でも全然好きじゃない。

 

 そんな僕が、子供の頃から何度も遭遇しては敗北を喫しているのが、野球についての話題だ。僕の周りに広がる男子社会では、野球の話題はどこでも使える基軸通貨ドルみたいなもんらしく、野球選手の名前や、こないだの試合がどーだとかこーだとかを皆で延々と話している場面に何度も何度も遭遇する。その度に、僕は空中を見つめて苦笑いしてやり過ごすばかりだ。あるいはデジモンの話題に付いていけなかった小学校時代を思い出して、うっすら涙を浮かべているかもしれない。

 

 僕は昔から野球に興味がもてなかった。未だにセリーグパリーグの違いも分からないし、マー君っていう人がどこの球団の人かも分からない。そもそも基本的なルールも、バットでボールを打ったら、3つくらいある白いところに向かって選手が走っていく、っていうことくらいしか知らない。

 

 父は巨人ファンでいつもテレビ中継を見ているし、別に野球と隔絶された家庭で育ってきた訳でもないんだけれど、なんでここまで野球のことに興味がもてないのだろうか。もしかしたら、前世がインド人で、クリケットにしか興味がなかったせいなのかもしれないけど、クリケットのことも良く知らないからその線もなさそうだ。

 

 いつか興味が持てるんじゃないかと気長に待っていたんだけど、突然野球が好きになるような気配も感じないし、きっとこれから先も、さほど野球に興味は持てず、ルールも曖昧なまま人生を終えていくんだろう。今後も野球の話題が出るたびに、口をとがらせて、何かを考えているフリをしながら曖昧に会話を流し続ける自身の後姿を想像すると、何となくさみしさを感じるのである。はぁー起きたら野球という概念がこの世から消えてねぇかな。

 

 

トイレでスマホがスカラベになった話

 先に断っておくと、またトイレの話だ。今日、会社のトイレでズボンを下ろした僕は、洋式トイレに座りながらスマホを少しさわっていた。簡単なメールチェックをして用をたした後、おしりを拭く為に僕は一旦スマホをどこかにしまおうとした。しかし、あいにくポケットにいれるにもズボンは既に下ろされており、その収納は困難と思われた。ふと辺りを見回すも、置き場所になりそうな棚や台もない。万事休す、このままではおしりを拭けないではないか。

 

 しかし僕は、こんなことで焦りはしない。あくまでスマートに、下ろしたパンツの上にスマホをそっと置いて、ウォシュレットは使わずエレガントに拭いた。この技は、安定した置き場所がない場合のみ使用を解除されるいわゆる奥義であり、パンツの上に置くことは、スマホにとって決して最善ではないが、スマホをそのまま地面に置いたり、片手で持ったまま不安定にことを進めるよりは、落下や汚染のリスクを最も抑えることのできる技である、と今は亡き師匠に教わっていた。

 

 奥義を使い、スマートに全てを終えた僕はスマートにズボンを上げた。すると、肝心のスマホを取り忘れており、パンツの上のスマホはツツーッっとズボンを下り、靴下の間に挟まってしまった。「しまった!」と冷や汗が流れる。ここまでスマートに事を済ませてきたのに、なんたる凡ミス。ここからもう一度ズボンを下ろし、スマホをズボンから取り出す様は全くスマートではない。それは僕の美意識に反する。

 

 何とかして、この失敗を取り戻さなければならない。そう思った僕は、あくまでエレガントに、ズボンと靴下の下で膨らむシルエットを頼りに、スマホを布越しに捕らえた。パンツからズボンを伝って落下したスマホが靴下の裾に挟まっているのであれば、一度スマホを上にずらしてやれば、靴下の呪縛から逃れたスマホが、ズボンの裾からスマートにポンッ!と飛び出てくるという寸法である。イッツパーフェクトプラン。

 

 捕らえた輪郭をゆっくりと指でなぞると、4.7インチのファーウェイp8liteの輪郭が確かにそこにあった。僕はニヤリと微笑むと、一気にそれを上にずらしてやった。するとツツーッっとスマホの感触が靴下から離れたのが分かった。成功だ、後はズボンの裾に手を置いて、落下してくるスマホをお迎えするのみとなった。僕は布越しに勝利を確信し、手を離した。

 

 しかし、あろうことかスマホの感触は手を離したふとももの辺りで止まったままなのである。おかしい、何かが狂っている。想定外の状況への焦りから、ブワッと尋常でない量の汗が出た。なんとか冷静に状況を判断しようとする。地面に対して真っ直ぐ立っている以上、ふとももでスマホが止まるということは本来あり得ないはずだ。すると、重力に逆らう何かの要因があるとしか考えられない。一体それは何だ!?

 

 そこでふと、記憶が今朝の出勤前にさかのぼった。今朝はとても冷え込んでいて、寒さで目が覚めたほどだった。そこで僕は、震えながら先日ユニクロで購入した、ヒートテックタイツを履いてからスーツに着替えたのだった。

 

 ヒートテック!そう、ズボンと靴下の間には、ヒートテックタイツが存在していた。そのなめらかな肌触りは、僕に装着を忘れさせる程で、事実僕はズボンを下ろした際確かに一緒に下ろしたであろうタイツの存在を認識することすら出来なかったのである。恐るべきユニクロの科学力。原因は分かったが、状況は既に詰んでいる。もはやタイツの下にあるスマホを取り出すには、ズボンを脱ぐしかないのだ。

 

 僕は泣いた、己の無力さと不格好さに声を殺して泣いた。ズボンを脱ぎ、タイツの布ごしにくっきりと形が表れているスマホのシルエットに、僕はハムナプトラに出てくる、皮膚の下を移動するスカラベを思い出していた。

 

 

今朝、路上で神様に出会った話

 突然だけど、僕は毎朝チャリンコ通勤をしています。今朝も会社に備蓄しておく食料をカゴに積んで、通勤ルートという名のサーキットを爆走していました。今思い返せば、少し寝過ごしたせいで、遅刻とは言わないまでもギリギリの到着になりそうな状況下にあり少し焦っていたのかもしれません。

 

 僕は、ちょうどサーキット半周に差し掛かる辺りで、うかつにも通勤レース最大の難所と呼ばれて久しい、あの魔の段差を見落としてしまったのです。

 

 これまで幾人もの高齢者を葬り去ってきた魔の段差。自治体の悪意の塊の、あの魔の段差。歩道と橋の境目に突然現れる、10cmの鋭利な魔の段差に、あろうことか真正面から突入するコースを選んでしまったのです。

 

 気づいた時には、目標まで1メートル弱の距離で、もはや進路変更は不可能。くそっ、こうなったらなんとか乗り切るしかない。僕は全身に神経を集中させて、この難局を乗り切る決意をしました。

 

 段差に直接タイヤがぶつかり、ガッコン!と前輪が上下に揺れ、その振動はフレームを伝わって僕の全身を震わせます。ちくしょう、負けるか、負けられるか。僕には会わなきゃならない人(上司)がいるんだ。ガッコン!次に後輪が段差にぶつかり、ボディを左右に激しく揺らし、僕の固い意志と熱い思いを打ち砕こうとしてきます。流れる汗、きしむ車体、暴れるハンドルを必死に抑える僕。ここを、ここさえ乗り切れば、僕は死んだって良い!だから今は、今だけは生ぎだい”!!(ドン!)

 

 そんな僕の強い思いが通じたのか、それともこの前道で拾い食いしたチャリンコノリノリの実の能力が発動したのかは分かりませんが、結果僕は幸いにもバランスを取り戻し、横転を避けることができました。

 

 その様子を見ていたのか、「マーベラス!」と、いつもこのあたりをうろついている通称ヘッドホンおじさんが叫んでいましたが、今日も小刻みに揺れてて怖いので目は合わせませんでした。ちなみにこの人は神ではありません。道路に現れるただの妖精です。そして、僕がやっとの思いで障害物を乗り越え、通常走行へ戻り加速をかけようとしたその時、悲劇が起こりました。

 

 おそらく激しい揺れでカゴの中で保たれていた絶妙な均衡が崩れたのでしょう。カゴの中でゆるやかに行われていた荷物の舞踏会が、魔の段差によって秩序を無くした死の舞踏会になり、舞台からダンサー達が飛び出してきたのです。

 

 端的に言えば、カゴの中身が四方八方に飛び散りました。

 

「あああーっ・・・」

 

 悲痛な声が自然と出ましたが、僕に悲しむ暇はありません。とにかく時間が無いのです。このレースに棄権や失格は許されていません。僕はブルーな気持ちのまま、スッと路肩に自転車を止めると、トイレ中の猫のような無表情さで横たわるダンサー達を回収し始めました。はぁ、ダンサーって何だよペットボトルとカップ麺じゃねーか僕は馬鹿か、今日帰ったら死のう。などと思いながら淡々と荷物を拾っていると、僕の後ろから声が聞こえました。

 

  「これも落ちてましたよ」

 

 ふと声の方向に顔を上げると、少しへこんだ僕のウーロン茶を手に持った青年がそこに立っていました。なんと僕がカゴの中身をばらまいたのを見ていたのか、わざわざチャリンコを止めて、それらを拾ってくれていたのです。

 

「あああ、ありがとうございますぅぅ・・・」

 

 突然の思いがけない親切さに、僕が腑抜けた声で感謝の意を返すと、いえいえと微笑みながらその青年は颯爽とチャリンコにまたがり、その場を去って行きました。

 

 僕は呆然として、まるで暗闇に突然スポットライトを当てられたような心地になり、唐突に現れた現人神の後ろ姿を、恋するベッキーのように、いつまでもいつまでもうっとりと見ていました。そのお姿には後光が確かに差しており、またがるチャリンコはペガサスのようでございました。

 

 これが、僕が今朝路上で目撃した、神の話こと神話です。ただの小さな親切を受けた話と思うかもしれませんが、その親切を受けた側によっては気色が悪いくらい感謝されていることもあるよ、という一例としてお納め下さい。

  

 

 

何も思い浮かばないからフリーザ様を描いた

 今日は、ブログに書きたいことが特にありません。何か無理に書くとしたら、せいぜい昨日焼き鳥屋で見かけた、顔は可愛いけど性格が肥溜めで産まれたウジ太郎並に最悪な女子大生二人組の悪口くらいしか書けないのですが、思い出すと口から肥料がこぼれ落ちてきそうなくらい気分が悪いのでやめておきます。ちなみに肥溜めから産まれたウジ太郎は、肥溜めで作られた堆肥を手から出して畑を豊かにしてくれる妖怪です。しかし村の子供達を見かけると、全力で追いかけてきて顔に両手を押し付け、子供達が泣き叫び嫌がる顔を見るのが大好きな、そんな大変迷惑な妖怪です。

 

 書きたいことが無いからと言って、何もしないのもつまらないので今日は僕の大好きなフリーザ様を描きました。

 

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イラストや漫画を描くのがブログ界での成功の秘密と聞いたので、これで成功者になれるかと思いワクワクしています。よろしくお願いします。

 

人のブログ読むのが面白いって話

 一体どうなってるんだ最近のインターネットの世界は。下は中学生から上はお年寄りまでアホみたいにモリモリブログを書いてるじゃないか。もしかして僕の知らない間にブログは趣味を超えて国民の義務になったのか?

 

 思えばブログをはじめてから、自ら積極的に人のブログを読む機会がなかったので、僕のブログに来てくれた物好きな方のお気に入りブログなんかを読み、さらにその人のお気に入りをという形でブログめぐりを繰り返してたら、底知れぬインターネットの広さを思い知らされてしまった。

 

 インターネット、全世界に繋がってるのはもちろん知ってた。知ってたけど、本当この広さは無限大だな!これまで僕が観測する範囲が狭かっただけで、視野を広げたらものすごい数の人がインターネッツでブロガーをしてるのだ。

 

 ダダダーッと時間も忘れてサーフィンしてるだけでも、東京でシャレオッティな写真を撮って上げてる人、主婦の日常を書いてる人、激務で疲れ果ててるリーマンさんなんかが、普段溜め込んでいる己のリビドーを、シャワー機能がぶっこわれた園芸用ホースのようにビシャビシャとブログに撒き散らしているじゃないか。面白れー!噂には聞いてたけど、人間ってみんなちゃんとそれぞれの人生を生きてるんだ!哲学的ゾンビなんか存在しないんや、自我と欲求の詰まったたんぱく質、それが人間!

 

 普通に生きてたら知ることのなかったような人の、大切にしているペットや家族との思い出、これからの夢なんかが垣間見れてすごく面白い。なんというか、のぞき趣味の変態の気持ちが分かった気がする。絶対この人の認識してるインターネットの範囲外の人間である僕が、うっかり迷い込んでその人の心の見ちゃいけないようなものを覗き込んでしまったような、そんなドキドキを感じるというか、悪いことをしている気分になって勝手に焦ってしまう。そんな小動物のように震える小心者で可愛い僕を愛でるがよい。痛い、石投げないで。

 

 ともかく当分の間は、呼ばれてもない人の家にうっかり迷いこめちゃう不思議な世界を楽しもうと思う。それにしても皆が自分を発信するのが当たり前の時代とはいえ、面白いと同時にやっぱり少し怖えーな、インターネット。

 

 

↑これすぐ内部で絡まってダメになんだよね。

文章を書く上で圧倒的にインプットが足りてない話

 特に他人のブログで綴られる端正な文章を見るようになってから、そう思うことが多い。言葉というものにちゃんと向き合ったことがなく、文字で気持ちをあらわすことをしてこなかった僕の文章は、頭の中に浮かぶグラデーションをそのまま表現できない大変陳腐なものだ。僕はもっと、ぐにょんぐにょんでハッピーでバイブスのアガるアヘアヘなアレをこうした文章を書きたいんだ、わかるだろ?

 
 こんな陳腐な文しか書けない陳腐脳みそで、どうやったら陳腐さを消して陳腐ブログから脱出陳腐できるかを三日三晩寝ずに陳腐に必死に考えた結果、出てきたのは、本を読めば頭良くなって文章も陳腐じゃなくなるかもしれないゾ、あとそろそろコロコロローラーの替え芯買わなきゃお部屋が汚くなるチンプー、という陳腐な心の声だった。仕方がない、僕のちん〇な脳みそから出てきたアイデアを今回は尊重することにしよう。
 
 思い返せば、あまり本を読まない人生だった。中学時代は本などろくに読まなかった。やることといったらネットに齧り付き、テキストサイトで毒電波を全国の社会不適合者たちから吸収することくらい。ある意味文字に触れる機会は人一倍あったと言えるかもしれないが、日々ネットで大量の文字を読んだところで得られるものなんて何もない。むしろ正しい日本語が脳からパージされて、ファンキーな日本語が身に付き2ちゃんねるによって嫌韓女性蔑視の卑屈野朗が出来上がるというマイナス面しかないのだ。そんなこんなで僕の日本語は多感な時期にネットの影響を受けていびつな進化を遂げた。唯一為になったことがあるとすれば、エネマグラオナホールという名の性具があることを知り、周りの大人が絶対に教えてくれない画期的な自慰の可能性が世の中にはまだまだあふれていることを教えてくれたことだろう。早く大人になりたいという動機を僕に与えてくれてありがとう!顔も知らない大人たちよ。
 
 そして高校時代、孤高の存在となりつつあった僕は、サブカルに生きる場所を見出し始めていて、昼休みに青空文庫での古きよき名作の読み漁りをしていた。無料であれだけの作品読めるのは嬉しいね。カラマーゾフの兄弟の続きいい加減出してください。
 当然のごとく中二病だった僕は、太宰治が好きになった。人間失格を四回読み直して「これは僕のことを書いている・・・」とやけに感動して、人生を達観した気になって、内心周りを見下していた。今思えばだけど、いけ好かない野朗に映っていたことだろう。確かに何も偉くないのに偉そうなヒョロガリがいりゃ、いじめられもするわな!
 
 その後大学に進学せずそのまま社会に出た僕は、思えば数える程しか本を読んでいない。読んでもラノベくらいのもんで、そりゃあ文章もこんなに陳腐にだってなるはずだ。とにかく僕には圧倒的に良質なインプットが足りていないのだ。僕の脳にインストールされている文字入力ソフトのエンジンは、数多のインターネットの落書きと、青空文庫のいくつかの作品だけ。あぁ、もっと当時読書の習慣を身に付けておけばよかった。世界の中心でさけんで蛇にピアスをして背中を蹴ればよかった。まあ今更後悔しても青春は戻ってこないし、もし戻ってきたらきたでそこら中に吐瀉っちゃうので戻ってこなくてもいいのだが。
 
 とにかく陳腐な脳みそは今更読書を欲している。今からだろうと読まねばなるまい。表現力の陳腐な僕なりに、陳腐な悪あがきをすべきなのだ。まずは正しくて美しい日本語を覚える為に村上春樹とか読めばいいんでしょ、僕がんばっちゃうんだからッ!