ロッキン神経痛のブログ

脳みそから出るアレをこぼさずジップロック

時間よ止まれ

 子供の頃、寝る前に「もしいつか家族や友達が死んじゃったら」ということを想像して、アンパンマン枕を毎晩のように濡らしていた時期があった。まだ祖父母も含め、家族で誰も亡くなったことなどないのに、なぜかどうしようもなく不安で悲しかった。あれは今思えば、確実な終わりに向かって自分が進んでいることに気づいたからなのだろうと思う。自分が、時間という概念のある世界に生きている事に、その頃ついに気づいてしまったのだ。止めたくても止まらない時間に対して、無理だと分かっていても今が永遠に続くことを願う強い気持ちが、アンパンマンに塩分をマシマシしていたのだろう。それは幸せを感じるからこその贅沢な願いだったのかもしれない。

 

 現に僕が不幸のどん底にいた高校時代に四六時中考えていた願いは、クラスの誰よりも長生きをすることだったのだけれど、その理由は嫌いな同級生共の葬式に出て、高笑いをしてやろうという考えからだった。(今の夢は、バケツ一杯のフルーチェを食べる事なのでご心配なく)

 

 その後の人生の中でも、ふと小さな頃に感じた寂しさと似たような気持ちになることがある。それは毎週のように仲良く遊んでいたグループが、それぞれの仕事や生活が忙しくなるにつれて、最近集まることもなくなったなぁと一人深夜に思いふけるときや、いつの間にか年をとった両親の姿をまじまじと見るときなどだ。まだ僕は若いとはいえ、もう何十年かすると、実際に人生の終わりが目の前に見えてくるんだろう。不安でしかなかったものが、実体となって迫ってくるんだろう。その時必ず今以上の寂しさや侘びしさを感じるんだろうなと思うと、身近な出来事が、良し悪し関係無く、その輪郭がおぼろげで儚いもののように感じることがある。

 

アンパンマン 抱き枕
アンパンマン 抱き枕