ロッキン神経痛のブログ

脳みそから出るアレをこぼさずジップロック

承認欲求が満たせない

僕は人の日記を読むのが好きだ。

 

ネットには、テキストサイト全盛期の頃から今に至るまで、僕の知らない人達の嘘か本当かも分からない日常の話や、過激で狂った出来事の話が溢れている。こんな面白いものを読まないのは損だ。ほぼ全てが無料で読めて、時に恐怖したり、時にゲラゲラ笑ったり、時にトーテムをポールさせたり出来る。僕は、そんな人達の日記を自由に読める時代に産まれたことに感謝したい。

 

ただ、そんな楽しい日記も、自分でそれを書くとなると話は変わってくる。語彙力や文章力のない僕にとって、何もないところから文章をひねり出すのは、ただただ苦しい行為だ。一度書き出すことさえ出来れば、流れにのって脳みそからぶちゅるぶちゅると言葉は出てくるのだけれど、何も出てこない時は謎の自己嫌悪で気分が暗くなる。いつも僕を楽しませてくれていた、物書き達への尊敬は日々高まるばかりだ。技術的な面以外でも、僕にとって自分自身の気持ちや体験を文字に起こすことは、匿名とはいえ公共の場で裸踊りをするような抵抗がある。自分のことを書くのは恥ずかしいものだ。

 

それでも僕は日記を書く。なぜなら色々理由はあるけれど、一番は僕の承認欲求の為だ。僕の承認欲求は人一倍強くて、きっと承認欲求を得る薬があったら一日100本打つし、崖から落ちそうな恋人と承認欲求が居たら承認欲求を救い上げるし、承認欲求を満たしてくれる代わりに、どこかの誰かの足の裏が魚の目だらけになるボタンがあっても迷わず毎秒16連打するだろう。最近僕の手が常に震えているのもアル中だからじゃない。認めて欲しくて、承認されたくて震えているのだ。

 

しかし、肥大した承認欲求に対して、僕という存在はあまりにも平凡でちっぽけ極まりないのが悩みだ。人を引き寄せる才能もなければ、見世物として檻の中で叫ぶ狂人にもなりきれない。ただ、もんもんと承認欲求を抱え続けるだけの日々。きっと凡人の殻を破れない僕のような奴は、おぞましい程沢山世の中に居て、僕らは一生完成することのない承認欲求の永久機関を完成させるべく、今日も痛ましい裸踊りを続けるんだろうなァ・・・と、さっきユーチューブのおすすめ欄に出てきた、中学生ユーチューバ-の動画を見て思った。

 

どうでもいいけどユーチューバ-ってなんか響きがマヌケですよね。もっと承認欲求と自尊心をくすぐる、カッコいい名前があると思うんですよ。どうでもいいんですけどね。

 

400万人に愛される YouTuberのつくり方
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