ロッキン神経痛のブログ

脳みそから出るアレをこぼさずジップロック

文章を書く上で圧倒的にインプットが足りてない話

 特に他人のブログで綴られる端正な文章を見るようになってから、そう思うことが多い。言葉というものにちゃんと向き合ったことがなく、文字で気持ちをあらわすことをしてこなかった僕の文章は、頭の中に浮かぶグラデーションをそのまま表現できない大変陳腐なものだ。僕はもっと、ぐにょんぐにょんでハッピーでバイブスのアガるアヘアヘなアレをこうした文章を書きたいんだ、わかるだろ?

 
 こんな陳腐な文しか書けない陳腐脳みそで、どうやったら陳腐さを消して陳腐ブログから脱出陳腐できるかを三日三晩寝ずに陳腐に必死に考えた結果、出てきたのは、本を読めば頭良くなって文章も陳腐じゃなくなるかもしれないゾ、あとそろそろコロコロローラーの替え芯買わなきゃお部屋が汚くなるチンプー、という陳腐な心の声だった。仕方がない、僕のちん〇な脳みそから出てきたアイデアを今回は尊重することにしよう。
 
 思い返せば、あまり本を読まない人生だった。中学時代は本などろくに読まなかった。やることといったらネットに齧り付き、テキストサイトで毒電波を全国の社会不適合者たちから吸収することくらい。ある意味文字に触れる機会は人一倍あったと言えるかもしれないが、日々ネットで大量の文字を読んだところで得られるものなんて何もない。むしろ正しい日本語が脳からパージされて、ファンキーな日本語が身に付き2ちゃんねるによって嫌韓女性蔑視の卑屈野朗が出来上がるというマイナス面しかないのだ。そんなこんなで僕の日本語は多感な時期にネットの影響を受けていびつな進化を遂げた。唯一為になったことがあるとすれば、エネマグラオナホールという名の性具があることを知り、周りの大人が絶対に教えてくれない画期的な自慰の可能性が世の中にはまだまだあふれていることを教えてくれたことだろう。早く大人になりたいという動機を僕に与えてくれてありがとう!顔も知らない大人たちよ。
 
 そして高校時代、孤高の存在となりつつあった僕は、サブカルに生きる場所を見出し始めていて、昼休みに青空文庫での古きよき名作の読み漁りをしていた。無料であれだけの作品読めるのは嬉しいね。カラマーゾフの兄弟の続きいい加減出してください。
 当然のごとく中二病だった僕は、太宰治が好きになった。人間失格を四回読み直して「これは僕のことを書いている・・・」とやけに感動して、人生を達観した気になって、内心周りを見下していた。今思えばだけど、いけ好かない野朗に映っていたことだろう。確かに何も偉くないのに偉そうなヒョロガリがいりゃ、いじめられもするわな!
 
 その後大学に進学せずそのまま社会に出た僕は、思えば数える程しか本を読んでいない。読んでもラノベくらいのもんで、そりゃあ文章もこんなに陳腐にだってなるはずだ。とにかく僕には圧倒的に良質なインプットが足りていないのだ。僕の脳にインストールされている文字入力ソフトのエンジンは、数多のインターネットの落書きと、青空文庫のいくつかの作品だけ。あぁ、もっと当時読書の習慣を身に付けておけばよかった。世界の中心でさけんで蛇にピアスをして背中を蹴ればよかった。まあ今更後悔しても青春は戻ってこないし、もし戻ってきたらきたでそこら中に吐瀉っちゃうので戻ってこなくてもいいのだが。
 
 とにかく陳腐な脳みそは今更読書を欲している。今からだろうと読まねばなるまい。表現力の陳腐な僕なりに、陳腐な悪あがきをすべきなのだ。まずは正しくて美しい日本語を覚える為に村上春樹とか読めばいいんでしょ、僕がんばっちゃうんだからッ!