ロッキン神経痛のブログ

脳みそから出るアレをこぼさずジップロック

サンタさん、僕の物欲を満たして

 今年はプレイステーション4とFallout4とWiiUとアナログコントローラ3個とスプラトゥーンとスマブラの一番新しいやーつとNintendo3Dsとモンハンの一番新しいやーつとゲームを一緒に遊んでくれる友達とSSD512GB積んだデスクトップパソコンとアップデートを強制してこないOSとiphone6sとiPADminiとMacbookiMACとドヤ顔する為のスターバックスカードとミニクーパー(新車)とシトロエンC4(中古可)と広い駐車場とマルセイバターサンドをトランク一杯分とうまい棒(めんたい味)をトラック一杯分と大量のバターサンドとうまい棒を保管するための冷蔵倉庫とイナバ物置とルンバとルンバに乗せる為の猫とルンバで掃除する為の一戸建てと室内で遊べるドローンとロビくん(飽きたら回収して)とロビくんを撮影する為のNikonの一眼レフとOLYMPUSコンデジとローションティッシュ1ダースとビアンキのロードバイクとサイクルコンピュータと空気入れと定期的にメンテナンスをしてくれる自転車おじさんとドラゴンボール完全版全巻(新品)とトップをねらえBlu-Rayボックスと水曜どうでしょうのDVDボックスと4Kのテレビとアーロンチェアと高級ワインとテレビを見ながら撫でる用のペルシャ猫とこの世で最も高級なマットレスと仕事場用のメガネと運転する用のメガネと寝る前に本読む用のメガネとTANITAの体重計と、ライザップの会員権と合皮じゃないチェルシーブーツと書き心地の良い万年筆とスマホいじれる手袋とちゃんと温度調節の効くハロゲンヒーターと全宇宙を支配する権力と富が欲しい。

 

お題「サンタさん、これください」

 

 

時間よ止まれ

 子供の頃、寝る前に「もしいつか家族や友達が死んじゃったら」ということを想像して、アンパンマン枕を毎晩のように濡らしていた時期があった。まだ祖父母も含め、家族で誰も亡くなったことなどないのに、なぜかどうしようもなく不安で悲しかった。あれは今思えば、確実な終わりに向かって自分が進んでいることに気づいたからなのだろうと思う。自分が、時間という概念のある世界に生きている事に、その頃ついに気づいてしまったのだ。止めたくても止まらない時間に対して、無理だと分かっていても今が永遠に続くことを願う強い気持ちが、アンパンマンに塩分をマシマシしていたのだろう。それは幸せを感じるからこその贅沢な願いだったのかもしれない。

 

 現に僕が不幸のどん底にいた高校時代に四六時中考えていた願いは、クラスの誰よりも長生きをすることだったのだけれど、その理由は嫌いな同級生共の葬式に出て、高笑いをしてやろうという考えからだった。(今の夢は、バケツ一杯のフルーチェを食べる事なのでご心配なく)

 

 その後の人生の中でも、ふと小さな頃に感じた寂しさと似たような気持ちになることがある。それは毎週のように仲良く遊んでいたグループが、それぞれの仕事や生活が忙しくなるにつれて、最近集まることもなくなったなぁと一人深夜に思いふけるときや、いつの間にか年をとった両親の姿をまじまじと見るときなどだ。まだ僕は若いとはいえ、もう何十年かすると、実際に人生の終わりが目の前に見えてくるんだろう。不安でしかなかったものが、実体となって迫ってくるんだろう。その時必ず今以上の寂しさや侘びしさを感じるんだろうなと思うと、身近な出来事が、良し悪し関係無く、その輪郭がおぼろげで儚いもののように感じることがある。

 

アンパンマン 抱き枕
アンパンマン 抱き枕

合コンで笑う鬼を見た

「ギャハハハハハ!!」


 モンテローザに若い笑い声が響いていた。声の方を向くと、半個室の中で20歳くらいの子達が、男三人女三人で飲み会をしているようだ。雰囲気から察するに合コンの2次会か何かだろう。その盛り上がり方は、声がフロア中に響いていることからも分かるようにかなり異様なレベルだった。男が立ち上がって手を叩きながら大げさにギャグを言うと、それを見た女がチンパンジーのようにウキャー!と歯茎をむき出しにして大爆笑していた。まるで猿山である。その様子をパッと見ただけで、僕のDQNに対するコンプレックスがざらざらと逆撫でされて不愉快な気分になったのだが、次の瞬間僕は背筋が凍る思いをした。

 

 というのも、よく観察すると女の子達はアホ面並べて楽しそうに笑っているのだが、対する男達三人の目が、全くこれっぽっちも笑っていないことに気づいてしまったからだ。もちろん男達は顔に満面の笑顔を浮かべており、モンテローザで酒を飲むこと以上に、世の中に楽しいことなんて一つもないってくらい大きな笑い声をあげているのだ。だけれど、目は全く笑っていなかった。目尻は縦になるくらいの勢いでくの字に曲がっているのに、その中に見えるのは獲物を仕留める猛獣の暗い色なのだ。

 

 僕は、彼らの様子に釘付けになったまま、どこかで聞いた人間の笑顔は動物からは威嚇に見えるという話を思い出していた。女の子達は、あんな恐ろしい表情で威嚇されていることに全く気づいていないのだろうか、あの無機質な笑い声に何も感じないのだろうか。それとも本当は全て分かった上で、どこまでも自然に笑ったふりをしているのだろうか。もちろん僕の勘違いで、彼らが普通に笑っているだけという可能性もあるのだけれど。ただ性欲が創り出す高度な駆け引きをそこに見てしまった僕は、安い熱燗片手に恐怖を禁じ得なかった。

 

 

どうぶつますく さる

どうぶつますく さる

貧乏、腹立つ、スルメ食うダイエット

 半年程前から、ふくよかになりつつある身体に危機感を持って、目標-5キロを目指して流行の低糖質ダイエットをしている。最近徐々に成果が出てきたのか、今朝計ったらもう残すところ目標体重まで1キロといったところまできていた。ただ、巷で言われるほどこのダイエット法は楽ではなかったし、何度も挫折をしかけた。というのも、炭水化物を抜いてみて初めて分かったのだけれど、炭水化物抜きの低糖質な食事というのは、全然満腹感がないのである。胃袋がいっぱいになっている、という感覚はあるけれど、どんぶり飯をかき込んだ後のような、お腹パンパン!はぁ喰った喰った!つまようじシーハーシーハー!状態には、どれだけ食べてもならないのだ。

 

 この現象を不思議に思って調べたところ、これまで慣れ親しんできた炭水化物中心の通常の食事では、糖質で急激に上がった血糖値を抑えるために大量分泌されたインシュリンが、脳みそに直接満腹感を叩きこんでいた、らしい。要はあの満腹感は、インシュリンによる擬似的な満腹感だったということ、らしい。細かい作用や仕組みは知らないので、詳しくはインシュリン氏に聞いて欲しい。


 とにかく満腹感を得る方法はないのか、ひもじくてひもじくて震える、とネットで助けを求めたのだが、「こればっかりはどうしようもない」「炭水化物の奴隷よ、苦しみに耐えなさい」との回答しか得られなかった。我慢出来るならこんな所に書き込んではいないだろうよ。ともかく理性で拒否しても身体は正直なもので、あの満腹感を求めて、気づいたら深夜にカップラーメンをモリモリ食べてしまったこともあった。これではいかんと、とりあえず口寂しい時に食べる用に低糖質な食品を買い集めたのだけれど、一番食べ応えがあって、なおかつ口寂しさを誤魔化す効果があったのがそう、スルメだった。

 

 チーズやナッツでも良いのだが、絶対量が少ない上に飽きやすい。その点スルメはしゃぶればしゃぶる程味が出てくるし、かなり腹持ちも良くて低糖質ダイエットにはもってこいだった。しかも値段も安くてコスパに非常に優れている。唯一デメリットをあげるとしたら、暇さえあればくっちゃくっちゃ食べているので、部屋が非常にイカ臭くなるということ。そりゃスルメはイカなんだから当たり前なんだけど、成人男子の部屋に立ちこめるイカ臭というのは、それだけで人から白い目で見られるという理不尽が世の中には存在しているのだ。実際、友人は「いい歳していい加減にしろ」などと言って、借りに来たスターウォーズも持たずに出て行ってしまった。意味が分からないって子は、今度夕食の時にお父さんに聞いてみよう。

 

 

よっちゃん食品工業 網焼するめ 30枚
よっちゃん食品工業 網焼するめ 30枚

僕がトイレのウォシュレットを使わない理由

 僕は、ある時からトイレのウォシュレット機能を使わないようにしている。どうでもいいんだけど、ウォシュレットとウォシュレット、どっちか迷って正式名称をググったら、そもそもウォシュレット自体がTOTOの商品名ってことを知って驚いた。アレの正式名称は、温水洗浄便座(ウォッシュエアシート)らしい。しかしNHKの言い回し並に分かりづらい上に、「あーそれ違いますぅ~↑ウォシュレットじゃなくて温水洗浄便座(ウォッシュエアシート)ですぅ~↑」なんてウォシュレットについて指摘してくるのは、どこで知り合っても友達になりたくない奴だろうから、気にせずウォシュレットという言葉をウォシュレットという商品名でなく温水洗浄便座全般を表す言葉として扱い、ここでは全てをウォシュレットとして統一させていただきたいと思うってやかましいわ!


 話を戻すが、僕はウォシュレットを使わない。いや正確には、使いたくても使えなくなってしまった。僕だって昔はみなさんと同じように、水圧を究極まで上げて、上の口からも温水が噴き出すまでおしりを洗いまくるウォシュレッターの一員だったのだがね・・・(遠い目)話は半年前、デパートのトイレで用を済ませた事に遡る。

 

 その日僕がいつものようにビッグベンを終え、ペーパーでから拭きをしていると、隣の個室に人が入った音がしたのだ。その隣に入った彼は、相当急いでいたようで、ベルトをカチャカチャと鳴らしズボンを下ろす音がしたと思うと同時に、ビッグベンのエンジン音をトイレ内に響かせた。それはとんでもない爆音で、もしこの音を打ち消すとしたら通常の乙姫じゃエンジン音に寄り添うハーモニーにしかならないだろうし、YOSAKOIソーランと和太鼓が大音量で流れなきゃこの爆音は打ち消せないだろうな。そしてYOSAKOIソーランは踊る人と見る人との温度差が真夏のコンビニ並に酷いなぁと僕は思い、そして思いながら、洗浄ボタンを押して至福のひとときを味わっていた。が、次の瞬間、隣の彼はとんでもない行動をおこしたのだ。

 

 「ボババッバババ「「ウイーン・・ジャーーーー」」ボバボバババババ」

 

 そう、隣の個室から、ビッグベンのエンジン音と一緒にウォシュレットを作動する音が聞こえてきたのだ。僕は思わず「ビッグベンてめぇ!」と叫びそうになった。隣の彼もとい隣の糞野郎は、ビッグベンもとい大便をひねり出しながらあろうことか洗浄を始めやがったのだ。なぜ拭かずに?なぜ同時に?「んふぅ~」とか気持ちよさそうな声出してんじゃねえ!下水に流すぞ!ウィンウィンノズルを前後に動かしてんじゃねえ!今すぐ止めろ、大便を!


 ウォシュレットのノズルは何人も汚してはいけない聖域なのだ。もしそこに直接お前の汚物をまかれたら、次に使う人間はどうなる?何が悲しくてそいつはお前と間接アスキッスしなくちゃいけないんだ?どうせお前は、ファミレスのドリンクバーで飲めもしない混合ドリンクを作ってはドヤ顔して、無茶ぶりで仲間内でも気の弱そうな奴に飲ませようとする、空気の読めないタイプの人間なんだろ。あれ想像以上に寒いしスベってるからな、お前のいない所でみんなに色々言われてんぞ。というか、まさか今、僕の使っているこのウォシュレットも誰かにこんな使われ方をされた後である可能性があるのか??イヤーッ!!そんなの耐えられない!!


 そのまま僕は怒りとパニックで立ち上がり、パンツとシャツを強烈な水圧でびしょ濡れにした。それからというもの、僕はウォシュレットに疑心暗鬼になり、少なくとも外でウォシュレットを使うことは完全にやめた。そのせいなのか、無念さを表す為なのか、可哀相な僕のおしりは何回かに一度、血の涙を流しながら泣くようになったのだ。

 

 いつか、TOTO人工知能搭載の便座を開発し、聖域を汚す不届き者を自動判別して電気椅子モードに変形させ、即法務大臣の許可を取って死刑執行する便利機能が実装されるまで、僕とおしりの苦悩は続く。

 

 

 

漫画デビルマンの感想

 最近永井豪先生のデビルマンを初めて読んだ。僕のデビルマンに関しての予備知識は、「映画版が糞を煮詰めて作ったような出来映えらしく、大ゴケした。」程度のもんで、ストーリーは、町でチンピラが引き起こす事件を、主人公がひょんな事から手に入れた変身能力で解決してくヒーローものくらいに思っていた。


 しかし実際に読んでみると、序盤は僕の予想したとおり、ほのぼのとした雰囲気が漂っていた東京の下町が、次第に悪魔と人間、果ては人間と人間で無限に起こる争いの中、ゴリゴリ重要人物と思われていたキャラクターが死にまくる、まさに地獄のような作品だった。世界が滅亡に向けてフルスロットルニトロエンジン噴射でぶっ飛んでいく展開のスピード感と、物語が二転三転を経て想像を絶する場所に着陸する驚きに、読書の手が止まらなくなる。それはまさに天才が描く傑作中の傑作漫画だった。

 

 こういった良い作品に触れた後は、それがどんなジャンルであれ、脳がじんわりと痺れる心地よさがある。そんな心地よい痺れを味わいつつ、余韻を楽しみながらネットでデビルマンについて調べてみた。すると、何とデビルマンには続編とも言える、バイオレンスジャックという作品があるのだという。そして、その漫画のある一コマと思われる下記の画像が掲示板に貼られているのを見て、僕は衝撃を覚えた。

 

f:id:RockinSinK2:20151214222601j:plain

 

 さっきまで読んでいたデビルマンも大概だけど、飛鳥了牧村美樹が、まさかこんな姿になっているのを数分後に見るとは思わなかった。とにかくこんなもの見せられたら、デビルマンの続きとやらが気になって気になって仕方がない。

 

 結局今、バイオレンスジャックも読んでいるのだけれど、今の所の感想は「やっぱり永井豪、最高に頭おかしい。」といったところだ。


 何となく知ったつもりになっていて、僕の想像と全く違う面を持つ作品って沢山世の中にあるんだろうな、そのもったいなさに気づかず人生を終えたくないなぁと思った。とりあえず、偏見を持たずに今度デビルマンの映画版でも見てみようかなと思っているのだけれど、もし想像通りの出来映えだったらここでぶちまけるのでどうか相手してやってください。

「リンゴ日和。」に癒されている。

hitamu.hatenablog.com

 

最近僕は「リンゴ日和。」に癒されまくっている。

 

hitamu.hatenablog.com

 

 ブログを知ったきっかけは、はてなブログトップで上記の記事を見かけたこと。「ねちゃっててもだっこして」だなんて、く、くそう!なんていじらしくて可愛い仕草だろうか!しかも、こんなふんわりとした可愛い絵のタッチで描かれては、誰しも癒されずにはいられないに決まっている。もし狙っているとしたら、なんてあざとい戦略だろう。そのあざとさがずるい。あとお母さん(投稿者)のハンネがひーたむっていうのも良い。「ひーたむ」という響きに宿る何ともいえないそのゆるさが良い。僕のような、練りに練ったあげくスベっている滑稽さや、1週間程考え込んだ必死さも感じられない。「ひーたむ」そのネーミングセンスの軽やかさが素晴らしい。

 

 更新ペースも早く、ネタも飽きない、そして何よりあざとくって(ほめ言葉です)可愛い。僕は一日の疲れを忘れるために、今日もリンゴ日和。の更新をまだかまだかと待ち、毎秒300回のアクセスを繰り返すのだ。